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目的「意識」

メールを整理していて、以前から違和感のあったことに対して、ふと感じた。


目的意識という言葉があるが、ここで重要なのは目的ではなく意識ではないかと感じた。


何かを進める時に「方向」を決めるのか、「方向性」を決めるのか、これらは若干異なることだと思う。
「方向」はより強く具体性を伴うべきであろうし、それに比べて「方向性」は相対的に曖昧であるべきだと思う。

Weblioにて三省堂の大辞林を確認すると、「せい【性】」の意味の中に「名詞の下に付いて、その性質・傾向をもっていることを表す。」というものがある。つまり、「方向」は「方向性」よりも具体的でなければならない。


同時に「目的」または「目的意識」は、それぞれが「客観性」または「主観性」を含意していると思う。

目的であれば具体的な事実として設定されるべきであろうし、目的意識であれば何らかの影響に依って「ある個人」が「自らの中に」得たもの(つまり結果だ)であろう。


この意識が目的から得られてもいいだろうし、ある方向「性」を示す演説から得られてもいいだろう。


何かを進めるにあたって、最も重要なのは目的意識ではないかと思う。

目的がきちんと設定できれば、それは素晴らしいことだし、設定を目指すべきだろう。


しかしながら、未来に向かって何かを進める場合、いつでも具体的に設定できるかは不明確だ。だから、方向を示して目的意識を醸成するという手段が重要なのだと思う。

「ミラクルセンス」を観て

先日「ミラクルセンス」という、聴覚/嗅覚/視覚に関する”超”感覚を取り上げる番組が放送された。残念ながらオンデマンドでのネットワーク放送は提供されていないようだ。観るに値する内容だと感じられる。そのあと、ちょうど関連する話を知る機会があり、いくつか符合するので番組内容を少し紹介しつつ考えてみることにする。

NHKの「番組内容」に書かれた内容を少し要約すると、

人間と外界を繋ぐ「五感」。世の中には、人並み外れた感覚“ミラクルセンス(超感覚)”の持ち主が居る。目で瞬時に状況を把握、数千種のワインを匂いで区別、自分が発した音の跳ね返りを聞いて周囲の様子を知る。
普通の人と一体どこが違うのか?
調査から明らかになってきたのは、人間の能力の可能性と奥深さ。感覚をつかさどる脳は、私たちがよりよく生きるために日々柔軟に変化していたのです。
ミラクルセンスは、育つ環境や訓練次第で誰もが獲得できる可能性があります。

とある。

  • 視覚
    • 周辺視により身の回りの様相を一時に把握する
    • 周辺視が有効に働いている時、視線は視界の中心に位置したまま
    • 圧倒的な数の経験の記憶作業に基づく、状況への適切な対応
  • 嗅覚
    • 圧倒的な数の様々な香りを体験し、それを言葉でラベリング
    • ラベリングされた言葉により、ワインの香りを様々に表現
    • エピソード記憶により、ワイン提供の状況を想起可能にし、提供タイミングを常に最適化
  • 聴覚
    • 極短時間の継続長を持つクリック音の反射音により、周囲の状況を区別
    • 最低でも1年程度のトレーニングに基づく、反射音パターン識別器の構築
    • 反射音パターンにより活性化する視覚野に識別器を配置

というところだ。(少し個人的な理解に基づく説明を入れているが、記憶に基づく記述であることと、所詮ブログなので番組内容を伝達するという意味での正確性についてギリギリと追求するつもりはないので、ご容赦願おう;とエクスキューズしておく)


さて。

まずは視覚の話から。

ちょうど週明け、感覚や行動を科学するための感覚器官や神経学的な内容を紹介してもらえるというセミナーに参加したという人が、その内容を少し紹介してくれた。その中に、視覚細胞の話があり、目には「錐体細胞」「桿体細胞」があるという。錐体細胞は主に色を感じ、網膜の中心部(黄斑というらしい)に密に分布し、桿体細胞は感度が高く光を感じ、網膜全体に分布しているらしい(中心部は錐体細胞が密であるため桿体細胞は周辺の方が高い密度となる)。

周辺視は桿体細胞からの信号を処理していると思われるが、桿体細胞からの信号に対しては、動きに敏感であるとのこと。こちらのページに、

The convergence of rod cells also tends to make peripheral vision very sensitive to movement, and is responsible for the phenomenon of an individual seeing something vague occur out of the corner of his or her eye.

とあり、これを軽く訳してみると「桿体細胞は多くの出力を束ねて使われ、その集約により動きに対して非常に高い感度を得ることができる」。

つまりは、周辺視では桿体細胞が「動き」に反応して情報を得ていると考えることが可能だろう。

ただこれ、使いこなすにはかなりの量の訓練を必要とするはずだ。番組では子供の頃からあらゆるフィールドのパターンをノートに記述し、言語や図に依るラベリングを施し、記憶の想起を瞬時に行えるよう訓練してきた話が紹介されていた。つまり、前頭葉で考えること無く、桿体細胞の”動き信号”から得られた”パターン”と照合して、最適な運動を選択している、のかもしれない。断言できるだけのエビデンスを用意できる環境にはないが、脳の働きや機械学習論および今回のデータを踏まえて考えると、ある程度は妥当な推測であろうと思っている訳ではあるが…。


エコーロケーション。

エコーとは反射音のことだ。音源から発した音が、物体に当たり反射して戻ってくる。その反射音の違いを特徴として利用し、ロケーション=場所/様子を認識する。番組ではそんな事例が紹介された。

とても興味深かったのは、エコーロケーションにより「場所」を認識する際には、視覚野が活発に働いているというデータ。これを観て思ったのは、「あぁ、やっぱり視覚野なんだ」ということ。視覚野で「場所」を認識するのは、目の見える生き物がやることだ。しかしそれは、見ていることにどの程度の意味があるのだろう?認識したいのは「自分が今何処に居るか」ということ。であれば、エコーロケーションが視覚野に信号を送り、「自分が今何処にどうして居るのか?」という”空間認識”を行うことが本質ではないかと思ってしまう。そしてはこれは、訓練された共感覚、とも云えるだろう。共感覚は感覚を司る領野同士で信号が行き交ってしまう現象。これよって、数字が色づいたりするらしい。

感覚器から得られた信号は、ある信号特徴量変換関数を経て情報に変換され、その情報を適切なパターン群に基づき識別することで、世界を理解しているのだとすれば、信号が適切なパターン識別器に届くよう変換さえされてしまえば、信号がどんなものであるかは本質的ではないのかもしれない。そして、必要であれば訓練により、稀な能力を提示するような変換関数を獲得することは可能なのだろう、と思われる。


視覚から付かず離れず、ワーキングメモリかもしれない話を考えてみる。

交通事故を体験した時、スローになる、白黒になるという話は聞くことがある。僕の場合は、白黒スローだった。非常にゆっくりとした時間の流れの中で、自らの身を守るためにひとつひとつの動作を着実に行ったのだ。そして身の安全を確認したと脳が判断した(のだろうと思う)直後、世界はヴィヴィッドに色づいて、いつもの時が刻まれだしたのを、今でも鮮明に思い出せる。

ラマチャンドランamazon:脳の中の幽霊に書かれていたと思うが、視覚野には動きを処理する領野があったと思う。つまり、白黒スローな時には、その場所が酷く活発であったのかもしれない、と思った。

そしてまた、こう思っていた。「人間の時間分解能は変化する」。

ずっとそう「思っていた」其れが、科学的な研究により確認されていたという話を友人から教えてもらい、とても嬉しかった。この記事の末尾に、

われわれは時間の速さは一定だと思っているが、実際にはそうではない。絶え間なく流れ行く感覚さえも、全ての時間ペースを変えうるのだ。

と締めくくられている。


何故、そうなるのか?

それを考えてみる。

先に書いた、感覚についてのセミナー受講者の話を聞いた、という中に、ワーキングメモリの話があった。ワーキングメモリと言えば、短期記憶の中でも有名どころだと思う(Wikipediaによるとワーキングメモリは作動記憶という、短期記憶を発展させた概念らしいが、ここでは少し荒く短期記憶とカテゴライズするに留める)。wikipedia:ワーキングメモリではチャンクを7個記憶できる、というもの。チャンクは塊であり、訓練すれば塊自体を大きくすることはできないが、塊からの紐付けは想起容易になり、より多くの事象を取り扱える気になる(という解釈で適切だったと思うが、書くのに疲れてきたので裏までは取らないで書き続けることとする)。

そのセミナーでは、音楽を聞きながら勉強する話が例として挙げられたと聞いた。勉強する際には集中したい。しかし、気が散ることもある。そんな時、ワーキングメモリが余った状態にある(といった話だったはずだが、記憶が曖昧なので正確ではないかもしれない。ただ完全に誤りではないと確信している)。そこで音楽という信号をワーキングメモリに投入することで、気が散ってしまう要因となったワーキングメモリの余り部分を埋めてしまうと良い、といった話だったはずだ。

ここで妄想の仮説を推し進めると、ワーキングメモリに格納する信号そのものを制限することで、脳の加速=サンプリング周期の短縮、を実現できるのではないか?という気がしてくるのだ。

白黒スローは桿体細胞からの信号のみをワーキングメモリに取り込む。それは動きを処理する視覚野に効率的に情報を送り込む手段として、最適なもののひとつであろうと思われる。身の安全を確保するまでは、錐体細胞からのヴィヴィッドな色を棄て去ってしまう。ワーキングメモリの容量は制限されている。命を担保するには、動くことに全ての能力を集中する。その為には容量の制限されたワーキングメモリに、高いサンプリング周期でデータを送り込まねばならない。

WIREDの記事には、クリック音で記憶の密度を変えるという研究の話が書かれている。

さて、今日からアップテンポな音楽をうまく使いながら、記憶の密度を上げるべくトライしてみよう。

はてなブログを始めてみた

はてなブログがオープンベータに移行したので、使えるようにしてみた。

今までははてなダイアリーがブログだったわけだが、それとはどう違うのだろう?

はてなブログのトップページに、以下のように書かれている。

はてなブログは、はてなの新しいブログサービスです。はてなダイアリーの良さを引き継いで進化した新しいブログサービスを、どうぞご利用ください。

だそうだ。