目的「意識」

メールを整理していて、以前から違和感のあったことに対して、ふと感じた。


目的意識という言葉があるが、ここで重要なのは目的ではなく意識ではないかと感じた。


何かを進める時に「方向」を決めるのか、「方向性」を決めるのか、これらは若干異なることだと思う。
「方向」はより強く具体性を伴うべきであろうし、それに比べて「方向性」は相対的に曖昧であるべきだと思う。

Weblioにて三省堂の大辞林を確認すると、「せい【性】」の意味の中に「名詞の下に付いて、その性質・傾向をもっていることを表す。」というものがある。つまり、「方向」は「方向性」よりも具体的でなければならない。


同時に「目的」または「目的意識」は、それぞれが「客観性」または「主観性」を含意していると思う。

目的であれば具体的な事実として設定されるべきであろうし、目的意識であれば何らかの影響に依って「ある個人」が「自らの中に」得たもの(つまり結果だ)であろう。


この意識が目的から得られてもいいだろうし、ある方向「性」を示す演説から得られてもいいだろう。


何かを進めるにあたって、最も重要なのは目的意識ではないかと思う。

目的がきちんと設定できれば、それは素晴らしいことだし、設定を目指すべきだろう。


しかしながら、未来に向かって何かを進める場合、いつでも具体的に設定できるかは不明確だ。だから、方向を示して目的意識を醸成するという手段が重要なのだと思う。